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毒親から離れて見えた「本当の私」|心の回復とこれからの親との関わり方

毒親との関わり方 介護の体験談と心のケアのこと

毒親との関わり方

毒親から離れて見えた「本当の私」|心の回復とこれからの親との関わり方


1. 「毒親」とは?私たちの心に与える見えない影響

親子関係は本来、安心や信頼を育む土台になるもの。しかし一部の親は、無意識のうちに子どもを支配し、自尊心を奪い、傷つけてしまうことがあります。

いわゆる「毒親」とは、過干渉、支配的、否定的、または感情の起伏が激しく、子どもに罪悪感や劣等感を植え付ける親のことを指します。

私の母は「毒親」でした。擁護するつもりはありませんが、母から過去に聞いた昔の話を思い出すと母の両親も「毒親」だったかもしれません。

よく”虐待は連鎖する”と聞きますが、私自身経験したからこそなんとなく理解できます。

子育ての仕方は、良くも悪くも自分の親が身近な手本となるから、無意識に繰り返してしまう・・・ということです。

1.1. コントロール・否定・依存の3つの支配

「どうしてあなたはいつもこうなの?」「あんたのためを思って言ってるのに」——こんな言葉に思い当たる節がある方もいるかもしれません。

毒親の特徴は、子どもを自分の思い通りにしようとする「コントロール」、努力を認めず否定ばかりの「価値の否定」、そして過度に依存し精神的に縛る「共依存」がセットになっていることが多いです。

私の場合は、両親が離婚したところからひどくなっていたように思います。

とても多感な中学2年頃から喧嘩が激しかった記憶があります。ひどいときは母に喧嘩の場に呼ばれ、「どちらの言い分が正しいかお前が判断しろ」と言われました。それを言われる意味がわからず、その場から逃げ出しました。当然です。そして中学3年の夏休みに引っ越しをした気がします。受験どころではなかったのになんとか志望校に入ることができました。 ・・・毒親話から離婚後大変だった話に遠ざかりそうなので、話を戻します。

とにかく、母は言うことを聞かない私に腹が立っていたようでした。

20歳の時には「こんな人と結婚したらいいのに」と40歳独身パッとしない、趣味はないけどお金は持ってそう、いろんな意味で大柄な方を勧められました。普通に考えて「うん!付き合ってみる!」なんて言う人います?20歳超えてる娘の人生のレール勝手に敷いて、ちょっと外れただけで嫌みの嵐・・・私自信を「個人」ではなく「分身」として考え、自分と同じ考えじゃないと全力で否定する。見事に「コントロール」「価値の否定」「共依存」の3点セットです。コンプリート。

1.2. 親子関係の見直しが必要なサイン

・何をしても認めてもらえないと感じる

・親の顔色を常に気にしてしまう

・自分の気持ちより親の機嫌を優先してしまう

これらは「心のSOS」のサインです。子どもが大人になった今、親との関係を見直す時期かもしれません。

しかし、この「心のサイン」を普通のこと、当たり前のこと、と思っている場合もあります。

私は成人しているのにも関わらず、常にこの状態で「私の努力が足りないから」とか「もっと期待に応えなきゃ」と自分を追い詰めていました。今では、そんなことしなくて良かったんだと思います。ただ、いくつになっても親子関係ってすごく難しいです。


2. 距離を置く決断に迷ったとき|罪悪感と自立のあいだ

親に対して「距離を置きたい」と感じたとき、多くの人が強い罪悪感に悩まされます。「冷たいと思われるかも」「見捨てるようで申し訳ない」と。

でも、自分を守るための“健全な距離”は、誰にでも必要なものです。

2.1. 「親を見捨てたくない」気持ちの正体

この気持ちの根底には「親を大切にしなければならない」という思い込みがあります。もちろん親を大切にすることは素晴らしいこと。でも「あなたの心が壊れるほど尽くす」必要はないのです。

2.2. 境界線を持つことは“冷たい”ことじゃない

むしろ、自分の心を守るための距離は“温かさを取り戻すため”、”自分自身を取り戻すため”の選択。少しずつ境界線を作ることで、自分の人生と親の人生を切り分け、穏やかな関係を築ける可能性も出てきます。


3. 実際に「離れる」ってどうするの?私が選んだ5つのステップ

距離を置く、と言っても具体的にどうすればいいのか分からない方も多いと思います。ここでは、私自身が実際に取り組んだステップをご紹介します。

3.1. 心の距離を先に整える

まず、相手が変わらなくても「私はこう思う」と自分の内側を認めることから始めました。自分よりも年上の人間(母)が変わるわけがない、とも思っていました。そして誰かに話を聞いてもらうことや日記も助けになりました。

3.2. 経済的・物理的に離れる方法

幸いにも私は父と同居していたので、母とは別居でした。それでもその関係性に悩んでいたので同居していたら・・・と考えると恐ろしいですが。とにかく同居している場合は、少しずつ別居の計画を。経済的に厳しい場合は、行政の支援や女性支援団体の活用も有効です。

私の妹は母とのケンカの末、当時付き合っていた彼氏の家に転がり込んでいました。その後結婚しましたが離婚・・・。まぁどんな形であれ、母から離れることができたので良かったのではないでしょうか。

3.3. 周囲との信頼関係を再構築する

信頼できる友人や当時の彼氏(今の旦那)に支えてもらい、そして小さなつながりが、大きな安心に変わっていきます。正直、1人で頑張るのは大変だったし、私は人に頼るのがとても苦手です。そんな私が周りの人間にやっとの思いでSOSを出すことができ、さらに応えてくれる人がいたということは、今思うとすごくラッキーだったと思います。


4. 離れた先に待っていたもの|静けさと本当の自分

距離を置いた直後は、驚くほどの静けさと同時に、ぽっかり空いた不安感もありました。それでも、日が経つごとに心の中にゆとりが生まれていきます。

4.1. 不安と解放感はセットでやってくる

「これでよかったのかな…」という不安は自然な感情です。でも同時に、「私のままでいていい」と思える時間が確実に増えていきます。

離れてから16~7年経ちますが、未だにすっきりしていない部分もあります。でも年々そんなことは減ってきているので、よく言う『日にち薬』というやつだと思います。

4.2. 自己肯定感の芽生えと「私の選択」

朝起きて、好きな服を着て、静かにコーヒーを飲む。ただそれだけで「私は私の人生を生きている」と実感できる瞬間が訪れるようになりました。

母に支配されていた頃の私は、自分の意思が持てませんでした。恥ずかしながら、着る服もわからないくらいだったんです。今では自分の思い通りになんでもできて、逆に家族を振り回しているかもしれません。でも心から幸せだと言えます。


5. それでも気になる「親の老後」とどう向き合う?

「離れたい」と「見捨てたくない」の間で揺れる気持ち。特に、親が高齢になってきたとき、その迷いはさらに大きくなります。人は変わるかもしれません。でも変わらないこともあります。私はほんの少しの期待もしないと心に決めたからこそ、今、強い気持ちでいることができています。

5.1. 「介護は義務?」と悩んだときの考え方

法的には、親の介護は義務ではありません。気持ちに余裕がないのに無理をして関わると、再び自分を傷つけてしまうこともあります。

私は、「死んだら教えて」くらいの軽い感じで母の再婚相手の家族に伝えています。それ以外は断固拒否です。それでも、母がボケて私のことを誰かわからなくなった場合、少しなら関わってもいいと思っていますが、私自身が自分を守れないと思ったら即離れるつもりです。

と、まぁこれくらいの気持ちでいていいと思います。無理する必要はありません。

5.2. 距離を保ちつつ関わる方法もある

介護が必要になった場合、行政やケアマネを通じて、間接的に関わる方法もあります。無理せず“できる範囲で関わる”ことは、冷たさではなく「自己防衛の選択」です。

私は離れている期間があるから、もし何かあっても大丈夫と思えますが、そうではないなら、バッサリと切ってもいいと思います。

 


6. 【まとめ】毒親との関係を見直すことは、自分を大切にすること

親との関係を見直すことは、自分を見つめ直すことでもあります。

私は母から離れましたが、嫌いじゃないんです。好きだからこそ離れました。母親が嫌いな子供はきっといません。不思議ですよね。どれだけ嫌な思いをしても嫌いになれないんです。でもいつか笑い話になる、なんてことはありません。だからこそ、”関係を見直すこと”は私にとって重要なことでした。

6.1. これから築く人間関係に「親と同じ」を持ち込まない

親との関係で傷ついた経験は、人との関わり方に影響を与えます。私はとても人と関わるのは苦手です。でもそれを意識して変えていくことができれば、もっと自由な人間関係が築けます。

6.2. あなたの人生は、あなたが選べる

“いい子”でいようとしなくていい。“親のため”に生きなくていい。あなたの心に向き合ってください。あなたが選ぶ生き方は、誰かに評価されなくても、ちゃんと価値があります。

私が自分を好きだと思えるようになったのも、今の自分を大切にできているのも自分の心と向き合ったから。初めの一歩を踏み出すのってすごく大変なのも知っています。でもその一歩がすごく大きな力になることを知ってほしい。

私と同じ苦しみを抱えている人、1人でも背中を押せたら幸いです。

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